前庭
正門を入ると広い芝生の庭があります。四季おりおりの豊かな表情をみせる芝生は生徒と教師の手入れで管理されています。ここに生える雑草にはカヤツリグサやフトイのような湿地性の植物が多く、トノサマバッタもみられます。(広さ 28m×26m=728平方メートル 昭和40年3月完成、昭和55年4月改修)
案内塔
前庭のサツキの植え込みの中に校内の配置図と行事案内をしめすためにつくられました。
(昭和41年4月完成)
50周年記念として案内図を改修しました。(平成21年12月4日改修)
日時計
コマ型日時計と水平型日時計を組み合わせたもので、太陽の日周運動や年周運動の現象と運動の原理がよくわかるようになっています。軸の先は天の北極を示し、直径1mの時計板は天の赤道面にそっています。(昭和41年10月完成 平成21年11月改修)石標
本校の位置を示す石標が案内塔の前にあります。東経 134°7′58″
北緯 34°15′55″
海抜 25.47m
メタセコイアの庭
本館ピロティをぬけるとメタセコイアの庭があります。本校では、メタセコイアを発見した三木博士の人柄や研究態度、忍苦と努力の生涯を道徳教材とし、博士の自然観や自然愛護の精神を学び、その心を受け継いでいきたいと願っています。また、まっすぐにどこまでも伸びるメタセコイアの木姿は、限りなく成長する本校生徒の姿を象徴するものです。(広さ 29m×24m=696平方メートル 昭和40年3月完成)
メタセコイアと三木 茂博士
メタセコイアは、三木町の記念樹であり、三木中学校のシンボルマークにもなっている植物です。大きいものでは、高さ40m、太さ1.5mにもなります。
スギという植物の仲間で、細長い葉をつけることから、針葉樹と呼ばれるグループに属しています。葉は秋になると赤茶色に紅葉した後に散ってしまいますが、春になると再び新しい葉が伸びてきます。
メタセコイアは、「生きている化石」として知られ、学術的にも非常に価値のある、世界でも珍しい生物です。
「生きている化石」とは、それが誕生してから現在に至るまで、その形態(姿や形)・特徴をほとんど変えることなく生き残っている生物のことで、代表的なものとして、シーラカンスやオウムガイ(アンモナイト)などがあります。メタセコイアが誕生したのは100万年以上前のこととされているので、少なくともその間、ほとんど形態や特徴を変えずに現在まで生き残ってきたことになります。
メタセコイアは、1939年(昭和14年)に、香川県三木町出身の生物学者三木茂(みき・しげる)先生によって、最初は化石として発見されました。セコイアという植物と似ていることから、三木先生が『メタセコイア』と命名し、新種の植物として発表したもので、既に絶滅したものと考えられていましたが、1946年(昭和21年)になって、中国の奥地で自生していたことが報告されます。この時、三木先生が化石から明らかにしたメタセコイアの形態・特徴と、実際に生き残っていたメタセコイアのそれがほとんど違わなかったことから、この発見は世界中を驚かせ、三木先生が世界から注目を浴びるきっかけとなりました。
三木茂先生は、1901年(明治34年)、三木町のごく普通の農家に生まれました。小さい頃から自然や生き物に興味を持ち、それが高じて大学にまで進んで勉学に励みました。大学卒業後は研究者としての道を歩み、植物研究の分野で多大な業績を残してきた、世界的にも有名な植物学者です。
現在三木中学校にあるメタセコイアは、元々は中国から贈られたもので、三木町内各地に植えられていたものが、昭和41年度に三木中学校に寄贈されて定着したものです。
(文責 橋 賢)
北庭
ケヤキとヒマラヤシーダーの並木、ソテツの老樹などを中心にした庭です。(昭和55年9月改修)中庭
令和2年度、ツブラジイが倒木の可能性があったため伐採し、ハクモクレンが植えられました。岩石園
南校舎の北側に岩石園があります。香川県産の岩石を中心にその産状と分布を模式的に示したものです。郷土の自然への関心を高めるとともに、庭園風に岩石を配置し親しみを持たせています。ベニシダ、ゼニゴケなどが生えて生物教材にもなっています。(広さ 6m×28m=168平方メートル 昭和41年8月完成)椿の庭
ヤブツバキを中心にした植え込みです。平成20年には西側に新体育館が建てられました。(昭和57年3月改修)
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